「マテリアライジング展」のオープニングに行ってきました。
それは想像を遙かに超えた、新しい時代の閲覧体験で、その新しい時代とは今この瞬間だという、歓びの体験でもありました。

「マテリアライジング展」を簡単に説明するとね、コンピューターで、いろんな条件を解析したり設定したりで入力して、それをたとえば、レーザーカッターとか3Dプリンターとかで出力して、そうやって作った「なにか」がズラリと展示されている展覧会なのね。

正確かつ詳細に言葉にするのは、専門的なことを知っていないとできなくて、このくらいしか言えないんだけど、専門的なことを知らなくても、ほんとにほんとに、楽しめる展覧会です。

コンピューテーショナルって、すごいね!

例えば、建築をつくる、というシチュエーションだとね、これまでそれぞれ異なる道具を持って、異なる分野の仕事をしてそうやってひとつのものを作るプロセスで、コンピューテーショナルは、その異なるそれぞれを、ひとつのメディアの上に共通言語として、落とし込むことができる。

そうするとね、現場合わせとか、悪い意味での経年変化に驚くとか、図面書く人と現場の人が何度も何度も無駄なやりとりをするとか、そういうことが、しゃきーん!とクリアに、解決してしまうわけです。

しかもね、つくった後のことまで、全部解析できちゃうから、完成した後の経年変化まで、具体的に把握できちゃう。コレすごいっしょ!

(私ゆってること違う?ちがくないよね?)

もちろん建築関係のこと以外にも、いろんなフェイズからコンピューテーショナルの可能性に迫りまくった「なにか」がここに集められているんです。

「なにか」って、なんだろうね。

完成品と言えるものもあれば、モックアップもあるし、何になるかわからないものもあるし、なんていうか、それらすべてを一言で言うとね、これから続々と羽ばたく、まだ誰も見ていない生物の、孵化寸前のサナギなんだよね。もう、ドクンドクンって、鼓動ではち切れんばかりの!

そんなものがズラリと集まった空間には、無為の迫力があるわけです。専門的なことを何もわかっていなくても、それだけは、誰にでも感じられるわけです。

あと何千字か書きたいところだけど、とりあえず展覧会の一端を、写真からご覧頂ければ幸いです。

http://www.facebook.com/hanamotoko/media_set?set=a.4336409667478.1073741836.1804445357&type=1

「マテリアライジング展」は6月23日まで、東京藝術大学陳列館にて。
詳細はWEBを。http://materializing.org/

ひとつ文句があるとすれば!
WEBもポスターも、見づらいんだよおおおおお!!!

(たなかもとこ)

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「めめめのくらげ」を観てきた。
http://mememe.gaga.ne.jp/
先入観が覆される内容だった。

彫刻や絵画作品に見られるような村上ワールド炸裂の、
ちょいグロで、カラフルで、圧倒的映像美の
(そんでストーリーの方はいまいちぼんやりとした)
ファンタジックおアート映画とばかり思っていたけれど、

実際はストーリーもちゃんとあって、
意外なくらいリアルと地続きの、
さわやか勧善懲悪モノだった。

しかし、どういうところをリアルに描いて、
どこがファンタジーなのか、というところが
既存のものとは反転しているような部分があって、
そこが、なんというか、一番やりたかったこと
なのかな、と思う。

特に私が関心を抱いたのは、子どもの残酷さや
憎々しさとか、孤独とか、そういう陰の部分が
生々しく描かれていた、ということ。

そこにリアリティの焦点をあてたこと、
オトナが陰の部分を描いてくれたことが、
よくある「いきいきキラキラ希望に満ちた」
子どもではなかった自分としては、救いというか。

もっと単純な、小学生男子の普遍的なところ、
例えばヘン顔したり、単純だったり、というのも、
ちゃんと出てきます。とにかく子役がすごい。

辻褄が合わないというか、設定がよくわからない、
という部分は、もう、いいんじゃないかと思う。
この映画が子どもに向けても作られている以上、
それでいいのだ。絵本だって、そういうものだ。

大事なのは、現実と地続きの地平上に
ファンタジーが表れる、という新しい体験であり、
そこを子どもたちが、どんなふうに楽しむか
ということに、すごく興味が湧いた。

では、私たちオトナは、この映画を
「現代美術家、村上隆の映像作品」
として、どう受け取るか。

「村上隆」のネームバリューで観に来るオトナは
少なくないはずで、作り手も当然そこは意識して
いるはずだけど、私にアートの素養がないせいか、
ほとんどそこはわからなかった。

戦隊モノから現代アニメまで、
さまざまな記号的要素がコラージュ的に
散りばめられていること、村上隆がどんな世界に
惹かれたひとなのかは、何となくわかった気が。

地に足の付いたワクワク感というか。
ファンタジーの世界に完全に陶酔するのではなく、
どこか背中にリアルの陰を負いながら、それでも
光を見るような。そんな雰囲気が、これまでの
村上隆作品と、どこかリンクするような感じで。
「めめめのくらげ」を観て、改めて村上隆作品を
実感するような。そんな感覚もありました。

これから観る方もいらっしゃると思うので、
これ以上のネタバレはしません。
だけど早くこの映画の話を思う存分したいので、
ご予定されている方は、とっとと観てください!

(たなかもとこ @hanamotoko)
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先日、藤村龍至さんのオープンハウスに出かけてきました。
藤村さんの仕事としては珍しかった、一戸建ての新築です。

それは、かわいい家でした。いや、正確に言うと
かわいいと建築が、ちゃんとバランスしてる家でした。

私はいわゆる東工大建築って、どこかおっかなく感じていました。
頭よくないとわかんないよ?的な。全部言語化しちゃうよ?的な。
そんな中でおっかなくなさそうなのはアトリエワンの設計だけど、
それでもそのユーモアと人なつっこさは、高度な知性の賜物であると。
高度な知性の中身が何たるかよくわからなくても、
高度な知性が存在するという雰囲気だけは、何となくわかる。

今回の藤村さんの家は、その辺のことを読解できなくとも、
手放しで「かわいい!」って歓喜できる、精神的な(あるいは知的な)
開放感がありました。
東工大建築に対して引かずに素直に向き合えた、初めての体験でした。

ラフな仕上げや、敢えて手を引くことでもたらされる「かわいい」と、
意味のある操作を施すことで現れる「かわいい」、そのどちらもあって。

へたうま的な、あるいはチープという意味でのかわいさでもなく、
媚びたり、かわいさのために演出されていたり、というわけでもなく。
さまざまな理由がバランスした結果としての、進化的なかわいさです。

(ここで画像と共に具体的な説明を入れたいところなのですが、
今回は、画像のアップデートはだめよ、というルールがありまして)

俯瞰してみると、シンメトリーだったり等間隔な分割だったりと、
ほんとはすごく単純で形式的。なのにこの家の中に身を置いていると、
気の利いたところにスイッチがあったり、自分サイズの天井高だったり。
身体に吸い付くような、個人的なスケール感が展開されています。

工学的であることと、かわいくあること。
形式的であることと、身体的であること。
建築的なよろこびと、生活的なよろこび。
饒舌さと、建築でやるのはここまで、という手離れの潔さ。
へえ、これらは共存できるんだ!って驚かされます。

なんつうか、今回の家は、とても性善説的で。
それは、ひとにやさしい一方、難儀で、勇気の要ることでもあって。
そんな建築が叶えられたことが、ひとんちながら、とってもうれしくて。
もっと居たいって後ろ髪をグイグイ引かれながら、現場を後にしました。

藤村さんのチョイスはいつも、いい意味で性善説的なんだよね。
能天気って意味じゃなくて。希望の在処を、必ず見つけてくれる。

いい建築が存在することは、それが私のものじゃなくたって、
とってもしあわせに感じることでした。
帰り道、しみじみ建築が好きだと思いました。
そう感じさせてくれるような建築でした。

たなかもとこ/mosaki

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「いいビルの写真集」

名タイトルですよね。
いい。しかも、ビル。
ここまでそぎ落とした肯定表現を堂々とする
建築書が、他にあったでしょうか。
もはや、その定義を問う気すら失せる。
いいものは、いい。
そんなシンプルな気持ちにさせてくれます。

私は、そんなシンプルな気持ちで建物に接することも、
接する人々のことも、大好きです。
だから、この本を一目見たときから、この本の著者の
虜になってしまいました。

著者は、ビル愛に溢れた5人組、BMC。
彼らはさらに「月刊ビル」というミニコミ誌を発刊し、
「いいビル」に拠点を構え、「いいビル」で年に一度
大イベントを開催し、多くの人と「いい」を分かち合う。
そうやって、「いいビル」に現在といういのちを
吹き込んであげることまで実践してしまう
(彼らはこれを「いいビルの使い方」という)
すてきなすてきな、ビルアクティビスト。
本書は写真集という側面を持ちながらも、正確に言うと
彼らの活動の履歴、視点の軌跡が辿られた、記録書です。

本の中では、大阪のビル20が厳選されています。
昭和の、いわゆる「いい時代」に建てられたものが
ほとんどです。
だけど彼らは、「今それがある」ことを謳歌する。
だから、ふしぎと懐古主義には陥らない。
ただ、放っておくとなくなっていくものに対して
「いい」の一言で、放っておかなかった事実を記す。
そのちからの強さといったら!

いいじゃない、「いい」で。もとい、「いい」が。
建築鑑賞とは何か、鑑賞の次にすべきことは何か、
考えることは何か。
決してそれは、お堅いことではなく、建物と一緒に
楽しい時間を過ごす、ただそれだけの「いい」こと。
建物と人との関係を提案してみせる、
上質で奥深い一冊です。ぜひぜひ、手にとってみて!

たなかもとこ/mosaki

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 「生きるための家」展、見てきた。正確に言うと、山田紗子さんの案の原寸大模型を見に行った。このためだけに入場料を払ったとしても、惜しくなかった。見てるだけなのに、すっごく楽しくて、ワクワクした。

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 原寸だからか、いや、案がいいからか。とんがった見た目にもかかわらず、見れば見るほどどんどんその家に空想が潜り込んでいく。そこでどんな活動が起きるか、例えばここでコーヒー淹れて、上の階から手を伸ばしてとって、寝そべって、空を眺めて…なんてふうに、鑑賞者の想像力を、めくるめくかき立てる。
 そういう案は、強い案だ。事実、山田さんの案「家族が生きるための家」は、軽やかさやはかなさを求められ続けていた前時代を突き破るように、太い柱が何本もあちこちに向かって「生えて」いて、それらに床が引っかかるようにして、斜めに横たわっている。

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 たったそれだけの単純な操作に見えるけれど、そこには、こもる、集まる、開く、閉ざす、さまざまな質の空間がシームレスに生まれていた。
 いろんな建築家が作品のウリにしていたような要素が、ここでは当たり前のように、ごく自然に現れている。(例えば上階と下階の区切り方をゆるやかにする、とか)もったいない、もとい、進化だなあと思わせる。

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 シンポジウムで、藤本壮介さんは進行中の「みんなの家」と山田さんの案がちょっと似てることについて、山田さんの方が先にあった、それははっきりさせておきたい、とコメントしていた。「僕らが影響、受けちゃったのかな笑」とも。

 私はむしろ、旭硝子のコンペで大賞だった加藤比呂史さんの案を彷彿としていた。ランダムに生えた縦軸を面で繋ぐような感じが。お二方とも藤本事務所出身だと聞いて、ちょっとビックリ!これはあれか、藤本壮介さん、早くから活躍される方を何人も輩出されるところを見るに、21世紀の菊竹清訓にっ!なるかっ!?

 「生きるための家」展は2012年7月15日(日)〜 9月30日(日)、東京都美術館のギャラリーA・Bにて。都美リニューアル後、初の企画展です。リニュった姿がまた、カッコよかった!

 http://www.tobikan.jp/museum/2012/artsandlife2012.html

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 「世界の終わりのものがたり」を見てきた。今週中にもう一度、見に行こうと思っている。素晴らしい展覧会だった。未来科学館での開催というところが、また。

 副題は「もはや逃れられない73の問い」こう聞くと、地球温暖化とか?環境問題的な?って連想しがちだけど、全然!全っ然、違うから!

会場入り口にある、毛利館長の開催挨拶からして、いいんだ。(くそ、書き写してくればよかったな)未曾有の災害でさまざまな終わりを目の当たりにした日本で、科学のちからで、何ができるだろうか、何を問えるだろうか。そんな素朴で、災害がなくたって普遍的で、人類にとって「終わり」のないテーマに、真摯に向き合う。そう誓っていた。

 セクションは4つに分かれていて「予期せぬ終わり」(病気や災害など)、「わたしの終わり」(情報や関係性など)、「文化の終わり」(持続可能とはどこからどこまでか)、「ものがたりの終わり」(そもそも「終わり」とは何か)についての、さまざまな問いかけと、さまざまなデータが展示されている。

 わたしたちが日々、なんとなく考えている心配や不安、それは「何かが終わる」ことへの恐怖ではないか。その「なんとなく」を、できるだけハッキリさせてみよう、という試みだ。

 そこに模範解答はない。ただ、個人個人それぞれがハッキリさせるための手助けが置かれている。そんな、科学のくせに、やけに哲学的な展覧会。

 逆説的な言い方だが、それこそが、科学への態度そのものを示していた。科学や事実とは、なにも、個人の思想を決めつける絶対的存在じゃないんだ。ただ、助けてくれる。わたしの「なんとなく」をハッキリさせられる存在は、わたししかいない。

 死や別れ、消滅。いろんなかたちの「終わり」を次々と見せつけられる、そしてそれらへの態度を問われ続ける。うーんとブルーになってもおかしくない展覧会だけど、感傷的にならず、思考停止にも陥らず、淡々と巡っていける。そこが!素晴らし過ぎる!!

 デザインの力も大きい。ポスターなどのデザインやイラストも洗練されているし、会場の中もヘンな強さや大きさ、インパクトを与えず観覧者と等身大のまま進行していく。さまざまなデザインの気配りがなければ、こんなテーマ、あっという間に疲れてゲンナリしてしまうはずだ。

 カタログも巡回展もないことが、本当に惜しまれる。あらやだ、私いま、本展の「終わり」が怖いのかしら!

 まだの方は、ぜひぜひ、ぜひ!行ってみて!!科学にも哲学にも、ほとんど興味なくたって全然大丈夫。生を全うしようとする、すべての人類に。

 本展「世界の終わりのものがたり」は日本科学未来館にて、6月11日(月)まで。火曜休館。

http://www.miraikan.jp/sekainoowari/

たなかもとこ

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+建築家の絵本シリーズ、復刊第四弾は鈴野浩一さんと禿真哉さんによるユニット「トラフ」です。タイトル「トラフの小さな都市計画」が、発売されました。トラフの発想のユニークな世界をイラストレーター山口洋佑とのコラボレーションで描きます。絵本に登場するのは、二人?のキャラクター。さて、どちらが鈴野さんで、どちらが禿さんでしょうか。とにかく奥深く楽しい世界観に引き込まれてしまいます。是非手に取ってみて下さい。今回も大西が全体の編集を、田中が解説文を担当させていただきました。因みに次回は、世界で活躍するあの建築家の方が登場。こちらもお楽しみに!

+本の中身はこちらから見てみて下さい!

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.470692016278574.127125.202324699781975&type=1



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新しいウェブマガジンが創刊しました。その名も「雨のみちデザイン」です。この建築系ウェブマガジンは、雨といを中心とした建材メーカー、タニタハウジングウェアが提供するもの。普段、みなさんはどのような視点から建物を見ることが好きでしょうか。きっとそれぞれに好きなポイントがあるのだと思います。けど、このウェブマガジンでは「雨」です。雨の水がどのように処理されているのか。そのことがデザインにどう影響しているのか。どんな知恵があるのか。「雨」というキーワードで、建築にまつわるどんな物事が結び付き合うのだろうか。と、「雨」と建築についての知の探求がはじまります。

数年前から、建築家たちとの対談を重ねてきたタニタハウジングは、そこでのやりとり、また自分たちの知識や教養をもっと多くの人たちと共有したいという気持ちが芽生えました。そこで、mosakiは、企画からデザイン、そして取材、執筆、編集から全体のランディングまでをトータルでサポートする形で、準備を進めてきました。

キーワードはとにかく「雨」!「雨」を軸にさまざまな角度から、いろんな人やモノゴトを隔週更新で取り上げていきます。「雨」を切り口に、どんな魅力が創出されていくのか。これからが楽しみです。創刊第一回目は建築家、隈研吾さんの登場。是非ごらんください。Facebookの「いいね!」もよろしくお願いします!

http://amenomichi.com

http://www.facebook.com/pages/雨のみちデザインウェブマガジン/363089903728696
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 「逃げ地図」シンポジウム、楽しみました!
出演者関係者の皆さま、おつかれさまでした。

ワークショップでの手描きによる地域の把握展示とシンポジウムで逃げ地図を知った私の所感としては、現段階の「逃げ地図」とは、ある決まった「方法」ではなく、例えばこのように見ることができるんだよ、それは可能なことなんだよ、という「視点」と「技術」を提案するメディアだと思いました。

(現段階、と書いたのは、決して未熟だとか稚拙だとか言いたいわけではなくて、さまざまに場数を踏んでブラッシュアップされるものだと思うし、今後どのような存在になるか、まだわからないからです)。

街のみんなで「逃げ地図」づくりをしてみたら。「逃げロード」近辺は、人気が出るでしょうね。地価ちょっぴりあがっちゃったりして。一方、そうではないと明らかになってしまった道路や土地は、どのように思われ、どのように活用されるのか、気になります。

コンピューターによる解析、評価「逃げ地図」は東日本大震災被災地復興での街づくりにおける合意形成ツールというのが発端なわけですが、これはめくるめく応用が利きそうですよね。

例えば、iPhoneやiPadでゲームになったらいいのになあって思う。だって、私は、私のための「逃げ地図」が欲しいと思ったんです。

体力あり、財産持ち出す気なし、女性、独身、などなど個人情報のパラメーターを入れて(だから急勾配がルートに入っていてもOK)逃げルートを割り出しておく。そんでブロック塀とかタイル貼りの外装とか、地震の時に崩れてきそうなところを、日頃から見つけたそばからマッピングしておくの。その環境が変わっても、自分で(&他のユーザーがプレイしたログで)アップロードできる。いざってときにこの蓄積が詰まった「マイ逃げ地図」が強制起動するようになってたらサイコー・・・なあんて、妄想が膨らむくらい。

シムトレッドによる広域避難シミュレーションでも、大きなことを大きくやろうとしてる、っていう難波さんの指摘通り、やっぱりある程度マクロ視点が得意なツールとして活躍するのかも知れないし。いずれにしても、上からの強制力を待つのではなく、市民のちから、ひとのちからでできることを考えさせてくれるものには変わりありません。

ああ、「逃げ地図」これからどうなるんだろ!続きが見たい、気になる!今回の展示に終わらず、このプロジェクトの行く末を見続けることができたらいいなと思っています。

やっぱり建築家のすごいところは整理力だよね。見えないなら可視化する、いくつかの問題がこんがらかっていたら、ほどいて並べてみる。ベストがなくても、限りなくベストに近いベターを探してみる。それだけで、どれだけのひとのこころが助かるだろう。そんな建築家の素朴な職能が「逃げ地図」に詰まっているように思いました。


展示は4月3日まで。
新宿OZONE7Fリビングデザインギャラリーにて入場無料
http://www.ozone.co.jp/event_seminar/event/detail/1275.html

自分なら、自分の街なら、どうするだろう?って
どんどん「私」に迫ってきますよ。そこが素晴らしいところ。
ぜひ見てみて!

たなかもとこ

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今和次郎「採取講義」この週末でラストだが、間に合う方はぜひ見に行って欲しい。つうか自分がもう一回行きたいよ!

会場に入ると和次郎のスマイルがお出迎えしてくれる。この人は笑顔であるだろう、と思っていた。その通りだった。うれしかった。

つぶさなスケッチ、つぶさなテキスト。農村から都市まで、そこでの生活一切合切を採取しまくった和次郎。会場には、そもそも本でじっくり読んでいく方が向いている資料がてんこ盛りである。「おお、これはあのあれか!」と生スケッチ生テキストに興奮する玄人さんももちろん大喜びだろうが、しかし和次郎初心者の琴線にも、ビシバシくる展示となっている。ヤヴァい。

和次郎の観察と記録には、人間同士としての、未知の扉を開かんとする者の、実に謙虚で素朴な視線がある。和次郎に「わかりきっていること」なんて、何もないのだ。その凄みといったら!ハアハア!

だからいつも、驚きや喜びに溢れていて、心が躍っていて。そんな和次郎の姿勢が、事実を淡々と連ねたスケッチとテキストに、ぎっしり詰まっている。観察の記録とはリアリストによる唯物的なもののように感じられるが、和次郎の記録をひとつひとつ目で追うと、その瑞々しさ、その息吹にドキドキして、不思議と涙があふれてくる。この感動って、一体何なんだ。

戦後のバラックをインテリのポエムみたいに「一種の美」だなんて片付けない。戦後、和次郎は復興の様子を記録し続けると共に「バラック装飾社」なるものを立ち上げ、バラックにダダな絵を描いては、批判されたり喜ばれたりした。

(私の推測では、和次郎は、廃墟も鑑賞物としてよしとは、しなかったのではないだろうか。和次郎は建築家の職能でもって、今を、今あるものだけで、いきいきと生きるためにはどうしたらよいか、探し続けたのではないだろうか。だから小屋のような「働く家屋」にも真摯に着目した)

他にも、庶民の服装から銀座を行き交う人々、茶碗の割れ方から蟻の歩き方まで、何がどう体系づくともわからない一切合切を、和次郎はひたすらに記録し続けた。

学者やなんかが、ただ田舎かどっかのものを「美しい」とかなんとか、物見遊山的にいうオリエンタリズムとは、確実に一線を画している。えらくなるための学問でもないし、ていうか学問と呼ばれるものへと昇華するかどうかも怪しいことまで記録し続けていたわけで、和次郎の残した一切合切の記録には、なんというか、生きるという現実への、強い愛が溢れている。

私はこれほどまでに、生きることそのものを愛せるだろうか。さっき産まれた赤子のように。「採取講義」には、そんな奇跡が詰まっていた。

モッサリしがちな和次郎展に対して、カタログは菊地敦己さんによるポップなデザイン。図版も多く、楽しい出来になっている。(しかし展示品の脇についていた本の抜粋などは収録されていない。残念!主に「日本の民家」「モデルノロヂオ」から抜粋されていたと記憶してるんですが、どうでしょ)

蛇足ですが。会場内の関連図書には、我らが「けんちく体操」が置かれている。なぜ!?と思われただろうが…当たり前のようなものを今一度観察して、発見に喜び、愛をもってアウトプットする…畏れ多くも、和次郎とのそんな小さな共通項を、担当者の方が鋭く見いだしてくださったのではないだろうか。大変光栄です、本当にありがとうございました!

たなかもとこ

http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/12/120114/
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