今回は、本日から東京国立近代美術館で開催中の「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展の田中元子/mosakiによるレビューをお届けします!出展者の伊東豊雄、鈴木了二、内藤廣、アトリエ・ワン、菊池宏、中村隆治、中山英之らと本展をキュレーションを行った保坂健二朗によってそこに生み出されたものとは!?
「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展レビュー

田中元子/mosaki


この「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展は、模型や竣工写真や図面といった従来の建築点とは趣向が異なり、インスタレーションによって建築を浮かび上がらせる試み。観客は浮かび上がった結果を、どこに見いだすだろうか?本展では全作品の撮影OK(むしろ推奨!)、観客それぞれの視点からすくいあげられた「建築」画像の投稿を公式サイトで募っている(はずなんだけど、4月29日未明現在、投稿用サイトが準備されてないみたい。カミングスーン?)。

「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展ウェブサイト
http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/work_in_progress/

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で、本題に入る前にタイトルを巡る話。
個人的には前述のように、会場内で観客に画像を自由に撮らせることで「建築」を果たして何に見るか、自由にそして無邪気に手探りさせる趣旨を真っ正面に示す実直なタイトルだと思う。twitterでikasamayaこと山崎泰寛さんが、このように記している。

ikasamaya
今日オープニングの東京国立近代美術館「建築はどこにあるの?」展、タイトルの「の?」が気になってる。「どこにある?」としがちだが、それだと語り手の主体が不明。だけど「の?」があると、語り手は一人称で、読んでいる方は、一気に語りかけられる側=二人称にサイドチェンジさせられるからだ。


もうね、うなるほど納得。このことを140字で明確に表せる山崎さんがほんとすごい。「の?」によって、語り手の一人称となる効果、プラスこのタイトルを読んだ観客が同調し、自らの問いとしてこの素朴な問いを頭の中に持ち歩きながら、会場内で「建築」たるものを探しだす。そんな誘導効果もあるだろう。

アトリエワンの塚本さんが会場で配布されている解説ちらしで、このタイトルは何も知らされぬまま何度か変更された末に生まれたものであること、「の」の音感が反語的とも聞こえるため「建築はどこ?」の方がよかったのではないか、タイトルの変更は文部省の意向があるのではないか、などということをちょっと苦々しく記されている。しかしたとえ反語的な響きだとしても、それはそれで観客側には効果的だと思う。当初は「楽しい建築」だったらしく、塚本さんはそれなら出展者である建築家の肯定、また企画者とも共犯関係的なものを感じたられるというけれど、最終的には大胆なまでに観客側、人を惹き付ける効果の側へとベクトルを振り切ったタイトルにしたのだと思う。タイトルひとつとっても、どこにどんな照準をあわせるか、相当悩みながら手探りされたことが想像できる。

そこまで模索せざるを得ない背景もある。ただでさえ今は、建築が社会に開く云々言われていて、なんか「安くてフレンドリーでわかりやすくて小洒落ていてエコでロハスで匿名的で懇切丁寧で理論武装されていて子ども受けするもの」が善、少しでもそうでないとブーイングがおきそうなナイーブさがあり、建築家がインスタレーションをする意味が厳しく問われやすい時代であると言えるからだ(んなこたない?)。

そうした中で本展は、個展のように作家像を示す目的でもなく、社会的意義を謳って建築を正当化するわけでもなく、ただひたすらに「建築」をみせようとしている。建築家展でも建築物展でも建築情報展でも建物展でもなく、建築展たらんと。これが今の時代に「社会に開かれた」ものと言えるか、それは観客が展示の中に建築をどれだけ見いだせるかどうか次第だろう。社会に開く目的でなく、態度としてすでに開いてあること。これがそもそも「社会に開かれ」ているということではないだろうか?その意味でも「建築はどこにあるの?」とは開催者側にとっても挑戦的な響きを含んだ、エキサイティングなタイトルだ。

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もう本展の企画に対する賞賛はタイトルについて書いた前述に充分込めてしまったんだけど、いや本当に、こんな成熟した建築展を国内で見られる日が来たことを喜ばずにはいられない。「○○じゃないと建築じゃない」という枠(=保証)をひょいと飛び越えて、従来の展示形態以上に「建築」を表す、本質に迫る遊び心が感じられる展覧会は、なぜかヨーロッパの方が多く見られた。別に外国のまねをして欲しいわけじゃないけど、さまざまな表し方によって「建築」なるものと出会うきっかけが増えることが、単純に喜ばしい。

会場である東京国立近代美術館の研究員であり本展のキュレーターを務めた保坂健二朗さんには「建築がうまれるとき:ペーター・メルクリと青木淳」展のときにお話を伺った。そのとき建築学科の出身などではないが、真摯にかつ情熱的に建築と対峙する保坂さんの眼差しに魅了され、保坂さんが表す「建築」をもっと見たいと思わされた。ART ITやすばる文学カフェなどネット上で読める寄稿でも、建築、空間への興味深い言及が見られる。

プロフィール
http://web.mita.keio.ac.jp/~maeda/html/memberhosaka.html
ART IT
http://www.art-it.jp/writer.php?id=19
すばる文学カフェ
http://subaru.shueisha.co.jp/art/index.html

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これだけ感銘を受ける企画であるが、さらに7つのインスタレーションが企画倒れにならず見事にしっかり、着地していたことに改めて感服する。出展した7人(組)の建築家はそれぞれに、しかし確かに、本展の企画が言わんとしていることを理解しているのだ。これってそんなに当たり前のことじゃないはず。これまでの建築展とは違った意図を伝えること、把握することって大変だと思うし、模型も写真もなく、インスタレーション。これまでとは違った見せ方、しかし全く突拍子もないものってのもまた、違うわけで。前例のないものは何が「それ」なのか、示しがたい。なのに「それ」ができている!しかも驚くべきことに、グループ展につきものであるクオリティの差、温度差のようなものが、ほとんど感じられなかった。

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個人的に興奮したのは中村竜二さんの「とうもろこし畑」、鈴木了二さんの「物質試行50」、菊地宏さんの「ある部屋の一日」の3点であった。ほかの作品については、たとえば中山さんの作品はオープニング当日は人が多すぎて作者の意図するものが見えづらい状況であったこと、塚本さんの屋外の作品は夜だったからよく見えなかったこと、などの理由から後日改めて記したい。

まず中村さんの「とうもろこし畑」。会場に入った観客を最初に出迎える、細くて透けてて華奢、かつ圧倒的に巨大な”ボリューム”。相反した事象がそこでひとつに組み上がって出現している。中村さんの「細い線が繊細に組み上がっている」パターンはおなじみかも知れないが、高さは人の身長ほど(まさにとうもろこしのスケール!)、横辺は最長16mというスケールで見られるのは、初めてのことだと思う(レーザーカットされた極細の紙を単純に規則正しくくみ上げてできたこの作品は、15人が一日10時間動きっぱなしで20日間もかけたそう!超体育会系!!この途方のなさを成し遂げるパワー恐るべし)。そしてこのタイトルの秀逸なこと!別にとうもろこしに似てるわけじゃない、畑に似てるわけじゃない。そもそも「とうもろこし畑」というタイトル自体、後からつけたのだそう。じゃあなぜ…?答えは作品で見て。ひとりでいたって思わず「ああ!」って声をあげてしまうはず。

鈴木了二さんの「物質試行50」は個人的に大興奮させられた作品。会場の奥に、肩の高さほどに立ち上げられた白い壁。1/3くらいの建物の模型のようにも見える、だけどなんかヘン。壁の内側をのぞいて見ると、水平にガラスが張ってある。そこには会場の天井が映りこんでいて、つまり天井までの高さがそのまま深さになった池のように見えるのだけど、もっとよく見つめると、床材が透けて見える。ガラスには天井が映り込むと同時に、会場の床材もそのまま透けて見えているのだ。天井と床が一枚に、高さと深さが一枚に。既存の天井や床はそのまま、透明のガラスだけで生まれたパラドックス!建物の模型に見えるけれど、いろんなスケール感がゆがみ、いろんな矛盾があって、なんてグニャグニャした世界なんだろう。しかも何やらリビングのように椅子がおいてある。この壁一枚向こうに広がる異常な世界には、住人がいるんだろうか…見つめれば見つめるほど、わからなくなってしまいそう。既存のものを利用しつつ、異次元に引きずり込む引力がすごい。まるで近未来映画のワンシーン。

菊地さんの「ある部屋の一日」、このタイトルもすごく好き。しかしこの作品に多くを語りたくない。そっとしておいて、何を感じるかを見る人に任せたくなる。感想を話し合うほどになんか違うなと思えてくる、自分と作品だけに発生する、小さくて密やかな秘密ごとのようなものがある。作品は秘密太陽の光に照らされる様子が観察できる模型、その奥の部屋はその模型の中で光の移ろいを見つめる体験ができる映像空間のふたつから構成されている。科目ながら、模型、映像それぞれの仕組みはエラいことになっているはずで、メカに強い菊地さんならではの作品なのだが、大事なのはそれ以上に、映像の空間で観客にわき上がる感情だ。ちょっと見てピンとこなくても、何度かループでしばらく見ていてほしい。タレルの作品みたいに、ある瞬間カチンとスイッチが入るはず。さみしさ、せつなさ、なつかしさ、ほほえましさ、みずみずしさ。そのようなものを具体的に見せているのではない、光がただ自分の中にあるものを浮かび上がらせる。それが心の中にあることを照らし出す。そして建築のありかをそのまま指し示す。何この気持ち。ストーリーも理由もないのに、思わずホロリとしてしまう。ここでは光のように色も形もない、だけど確かにここにある感情が沸き起こされる。ストーリーも理由もないのに魅了される空間に身を任せるときのように。あ、結局いろいろ話してしまった。

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この展覧会において「建築」と呼ばれるものの断片は、そこここで見つけることができる。その画像を撮ってアップしてみてね、っていう楽しい企画にもぜひ参加したいところだが、オープニングでは一枚も画像を撮らなかった。身体をあちこちに動きまわらせることで「建築」なるものが伝わってくる作品が多かったという理由もあるけれど、見たものではなく感じたものを写真に収める自信がなかった。自分の一枚でそれが叶わなくとも、設置されるであろう投稿用サイトに不特定多数の人々による画像が集積されることで”視界の記録”ではない何ものかが立ち上がるかも知れない。その何ものかが8月の会期終了まで、ウェブ上の中で育まれることもまた、本展の楽しみのひとつである。

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今という時代における「建築に対する社会的要請」を考えると、「建築家がインスタレーション」は以前より手放しで喜ばれる状況ではないことは前述した。それに加えて、建築を学ぶ人々、建築に携わる人々も、本展のような「建築とは何か」みたいな話には、かつてより興味が薄いかも知れないな、と思う。

建物としての建築だけでなく、アーキテクチャと呼ばれる構築の概念、新ツールによる新時代のためのコミュニティ形成の可能性、コンピューターを使う技術、超高層やロードサイドといったこれまで「お高い建築家先生には見捨てられていた」現実。これらに向き合うことも建築に関わる者の職能だという新しい自覚とともに、えらい先生のすてきなディテールにウットリすることなんて、過去の幸せとなっているように見える。それまでの「純粋建築」のようなものに対する希望は失われ、さまざまなものを建築として巻き込み、建物以外においても何かを構築する希望、それらを建築と呼び得る希望。そんなふうに建築に関わる人々の希望の内容もシフトチェンジしたのではないかと。いい悪いではなく、そういうことになっているんじゃないかと思う。

批判性か、普遍と言い切る開き直りか。いずれにせよ、そんなタイミングで本展が開催されるということにもまた考えさせられる。
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Re: this entry
From: hana Date: 2010/04/30 9:58 PM
わ!コメントありがとうです!!

「の?」の解釈が、立場によって変わるのかも知れないですね。
緊張高まる出展者は反語っぽさが気になるだろうし、
観客側から見ると、おっしゃる通りこどもが無邪気に
(ちょっとおねだり気味で)探し物してるような感じがして、
敷居がぐぐっとかわいいバランスに来てくれる印象です。
こういう展覧会の企画の難しさ&面白さですね。

ユニクロウォッチャーなのに安物批判は矛盾してるようかも知れないけど、
私も「何でもかんでもとにかく安いのがえらいんだ」って勢いには辟易します。

質の高いものを手にすることとか、植物を育てるとか、
手をかけてお料理するとか、何か学ぶとか人とのご縁とか。
時間や手間ひま、あるいはお金のストックを
ある程度こしらえて味わうタイプのしあわせに対して
世の中全体の関心が薄れてしまうのは、ちょっと世知辛いですね。
From: アテクシ。 Date: 2010/04/29 4:28 PM
建築はどこ?だと父性的な、そう男性的な圧迫感があるわね。
不思議なことに「建築はどこにあるの?」だと
こどもがお菓子はどこにあるの?とでも言いたそうなw
どこか柔らかい感じがして好きです。

それと
「安くてフレンドリーでわかりやすくて小洒落ていてエコでロハスで匿名的で懇切丁寧で理論武装されていて子ども受けするもの」が善
これこわいわよね。
あと、日本の事象庶民って人達の間で強い民間信仰は
安い=善 高い=金儲け!!悪!!!!!
というのがあるでしょう?
建築でも服でもそうだけど、
安いけど趣味はいいものっていうのはアリかもしれないけど
安くて高いものと同じ品質!というのは
無理という真実を語るタブーが消えて欲しいなぁ。
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