先日、藤村龍至さんのオープンハウスに出かけてきました。
藤村さんの仕事としては珍しかった、一戸建ての新築です。

それは、かわいい家でした。いや、正確に言うと
かわいいと建築が、ちゃんとバランスしてる家でした。

私はいわゆる東工大建築って、どこかおっかなく感じていました。
頭よくないとわかんないよ?的な。全部言語化しちゃうよ?的な。
そんな中でおっかなくなさそうなのはアトリエワンの設計だけど、
それでもそのユーモアと人なつっこさは、高度な知性の賜物であると。
高度な知性の中身が何たるかよくわからなくても、
高度な知性が存在するという雰囲気だけは、何となくわかる。

今回の藤村さんの家は、その辺のことを読解できなくとも、
手放しで「かわいい!」って歓喜できる、精神的な(あるいは知的な)
開放感がありました。
東工大建築に対して引かずに素直に向き合えた、初めての体験でした。

ラフな仕上げや、敢えて手を引くことでもたらされる「かわいい」と、
意味のある操作を施すことで現れる「かわいい」、そのどちらもあって。

へたうま的な、あるいはチープという意味でのかわいさでもなく、
媚びたり、かわいさのために演出されていたり、というわけでもなく。
さまざまな理由がバランスした結果としての、進化的なかわいさです。

(ここで画像と共に具体的な説明を入れたいところなのですが、
今回は、画像のアップデートはだめよ、というルールがありまして)

俯瞰してみると、シンメトリーだったり等間隔な分割だったりと、
ほんとはすごく単純で形式的。なのにこの家の中に身を置いていると、
気の利いたところにスイッチがあったり、自分サイズの天井高だったり。
身体に吸い付くような、個人的なスケール感が展開されています。

工学的であることと、かわいくあること。
形式的であることと、身体的であること。
建築的なよろこびと、生活的なよろこび。
饒舌さと、建築でやるのはここまで、という手離れの潔さ。
へえ、これらは共存できるんだ!って驚かされます。

なんつうか、今回の家は、とても性善説的で。
それは、ひとにやさしい一方、難儀で、勇気の要ることでもあって。
そんな建築が叶えられたことが、ひとんちながら、とってもうれしくて。
もっと居たいって後ろ髪をグイグイ引かれながら、現場を後にしました。

藤村さんのチョイスはいつも、いい意味で性善説的なんだよね。
能天気って意味じゃなくて。希望の在処を、必ず見つけてくれる。

いい建築が存在することは、それが私のものじゃなくたって、
とってもしあわせに感じることでした。
帰り道、しみじみ建築が好きだと思いました。
そう感じさせてくれるような建築でした。

たなかもとこ/mosaki

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